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軸先含めない全体的な大きさは174cm×38cm程度です。横山華山名は暉三、または一章、字(あざな)は舜朗。通称は主馬。中国名風に「黄華山」と署名する例もある。京都出身(越前出身説あり)。福井藩松平家の藩医の家に生まれる。白井華陽著『画乗要略』によれば、若い頃は家が貧しく生計を立てるため、北野天満宮で砂絵を描いてその日暮らしをしていたという。西陣織業を営む横山家の分家横山惟馨の養子となり、本家が支援した曾我蕭白に私淑。始めは養父の師である狩野派の絵師江村春甫や村上東洲についたとされるが、直接師事した形跡はなく、養父惟馨から学んだと推測される[3]。長じて岸駒に師事、のちに円山応挙や四条派の呉春の影響を受けた。一般に絵師は晩年になると筆力が衰えるとされるが、華山は例外で最晩年に至るまで雄渾な大作を手がけている。本画以外にも、俳諧摺物も手がけている。文化5年(1808年)「華洛一覧図」(木版一枚摺)を出版、鍬形蕙斎の一覧図に影響を与えた。この逸話から華山は鳥瞰図の創始者と言われる。近年の研究ではこれに否定的であるが、当時の江戸で華山がそのように思われていたのも確かである。また斎藤月岑と交流があり、月岑から『東都歳事記』の校訂を頼まれている。酒好きだったらしく、古い書画辞典などでは華山は常に詫び状を懐中に入れ、酒席で失敗するとそれに署名し、その場で席画を描いて詫び状と共に相手に渡したという逸話が載っている(『画家逸事談』)。享年54(もしくは57)。墓所は京都市上京区の瑞雲院
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軸先含めない全体的な大きさは174cm×38cm程度です。
横山華山
名は暉三、または一章、字(あざな)は舜朗。通称は主馬。中国名風に「黄華山」と署名する例もある。京都出身(越前出身説あり)。福井藩松平家の藩医の家に生まれる。白井華陽著『画乗要略』によれば、若い頃は家が貧しく生計を立てるため、北野天満宮で砂絵を描いてその日暮らしをしていたという。西陣織業を営む横山家の分家横山惟馨の養子となり、本家が支援した曾我蕭白に私淑。始めは養父の師である狩野派の絵師江村春甫や村上東洲についたとされるが、直接師事した形跡はなく、養父惟馨から学んだと推測される[3]。長じて岸駒に師事、のちに円山応挙や四条派の呉春の影響を受けた。一般に絵師は晩年になると筆力が衰えるとされるが、華山は例外で最晩年に至るまで雄渾な大作を手がけている。
本画以外にも、俳諧摺物も手がけている。文化5年(1808年)「華洛一覧図」(木版一枚摺)を出版、鍬形蕙斎の一覧図に影響を与えた。この逸話から華山は鳥瞰図の創始者と言われる。近年の研究ではこれに否定的であるが、当時の江戸で華山がそのように思われていたのも確かである。また斎藤月岑と交流があり、月岑から『東都歳事記』の校訂を頼まれている。酒好きだったらしく、古い書画辞典などでは華山は常に詫び状を懐中に入れ、酒席で失敗するとそれに署名し、その場で席画を描いて詫び状と共に相手に渡したという逸話が載っている(『画家逸事談』)。
享年54(もしくは57)。墓所は京都市上京区の瑞雲院
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